バルスと叫んでしまいたい🐰①
バルスとはー
ラピュタ崩壊の呪文である。 ラピュタ語での意味は「閉じよ」であるが、ネット上においては崩壊・破壊の意味の他に様々なネタとして扱われている。(ニコニコ大百科より引用)
バルス!この言葉の意味を知ったのはつい最近です。
生まれて初めて、「天空の城ラピュタ」を鑑賞し
こ、これがあのバルス…!
金曜ロードショーでラピュタが放映されれば、リアルタイムでTwitterで皆が叫ぶあの…!
と、感慨深くなりました( ´艸`)
何の話をしているのかというと、
ずっとずっと私にまとわりつく「黒い」感情があるということ。
黒い、暗い?とにかく、昔と決着をつけたいとずっともがき続けいているのですが
なかなか吐き出せるところもなく、心の整理もかねて
昔のことをブログに書かせていただけたらなと思います🐱
身バレしないために(といっても知人はこのブログを知りませんが( ´艸`))
多少の脚色をしつつ少しづつ書かせていただければと思います。。。
兄(次男)と私
私はごく平凡な家庭の3兄弟の、末っ子として生まれました。平凡だと思ってました。
あれは私が小学1年生の頃です。母と兄(次男)と私の3人で、隣町まで電車でお出かけをしました。
お昼を食べて、あとは家に帰るだけという時、母が兄に1000円を渡しました。
「これでうさねこ(私)と先に帰っていて。お母さんはお買い物をしてから帰るから。」
私と兄は初めて子供だけで電車に乗りました。当時兄は後を追ってくる妹という存在がうっとおしかったようで
距離を置かれながら一緒に電車で帰った記憶が鮮明に残っています。
その電車の中で、怖そうなお兄さんに絡まれそうになりました。
おそらく高校生か大学生かと思いますが、小学生の私からしたら「怖い大人」。
兄は絡まれる前に隣の車両へ1人で行ってしまい、取り残された私はその怖いお兄さんたちに
にやにや、笑われながらからかわれました。なんて言われたかは覚えていません。
自宅の最寄り駅に着いて恐怖から解放された私は、ダッシュで電車から降り、幼いながらに
「自分の身は自分で守らなきゃいけないんだ」
と思いました。
そう思うタイミングはその後もありました。
家族で海水浴へ行った時のこと。
兄が一緒に大きい浮き輪で遊んでくれて、一緒の輪に入り、海に浮いていました。
脚が付くかつかないかくらいのところまで来た時、兄がいきなり輪から抜けたのです。
私は脚が付かなくなって、一生懸命海岸の方へ泳ごうとするのですが
浮き輪が大きすぎて思うように泳げず、とっさに浮き輪から抜けました。
一生懸命浮きながら、何とか海岸へ行こうとしますが、浮き輪がないとうまくできず
多分、溺れかけていました。
ボートに乗った大人に、「浮き輪をとってください!」と叫び
無事浮き輪を手にした私はそれをビートバンのようにして思いっきりバタ足をして海岸へ泳ぎ
事なきを得ました。
このふたつの出来事は、なぜか親には話せませんでした。
おそらく話していないはずです。
話したら兄は怒られていたでしょうか。
なぜ話さなかったのでしょうか。私のことなのにわかりません。
もしくは実は親はその現場を見ていて、怒ったのでしょうか。
記憶は曖昧なので何とも言えませんが、悲しいというより、「なんで?」という感情ばかり湧く体験でした。
それから中学、高校と大人になるにつれて意地悪はされなくなりましたが
思春期で会話はほとんどせずにお互い大人になった
そんな兄(次男)との話でした。
🐰🐱